3月11日記 病院にて
2011年 04月 05日
一応記録までに…。
3月11日金曜日、ワタシは職場にいました。
職場の病院でも、大きな地鳴りと共に地震を感じました。
この日は午後から休診。
幸い患者さんは外来におらず、地震がおさまったと同時にスタッフ全員で病棟に駆けつけました。
あらゆる棚という棚は倒れ、医療機器やら薬品が散乱していました。
病棟のスタッフは、人工呼吸器とベッドを必死で支えていました。
病室も患者さん用の床頭台が倒れたり、窓が歪んで開け閉めができなくなったり、とにかくひどい状態でした。
幸い患者さんに被害はありませんでした。
どうにか病棟を動けるまでに片づけましたが、今度は停電と断水、ガスも使えず。
人工呼吸器などは自家発電につなげるため、まずよし。
患者さんの食事は、エレベーターが使えないため、みんなで給食室から非常食を運んで配膳。
水も出ないため、近所からもらった水でトイレを流す。
停電のため、暖をとるための布団を運ぶ。
職員総出で、電気水道の復旧するまでの2日間働きました。
思ったこと。
不謹慎かもしれませんが、ワタシはこれまでに三条水害と中越地震を経験しています。
病院には沢山の患者さんが運ばれたりしましたが、病院の機能自体が不全になることはありませんでした。
エレベーターだって使えたし、断水もなく、食事も暖かいものを提供できました。手術も予定通り行っていました。
自身は、水を漕いで職場に行ったり、車がダメになったりしましたが、普通に生活はできていました。
確かに大変だったけど、今思うと、当時は状況をあまり重く受け止めていなかったのかもしれない。
今回、この危機的状況に対し、自分がやれることはやったつもりです。
でも、まだ何かやれていないような無力感というか焦燥感というか…。
でもでも、せっかくナースなんだし、手探りながらやれることをやっていかなきゃな…。
と、思う今日この頃…。
3月11日金曜日、ワタシは職場にいました。
職場の病院でも、大きな地鳴りと共に地震を感じました。
この日は午後から休診。
幸い患者さんは外来におらず、地震がおさまったと同時にスタッフ全員で病棟に駆けつけました。
あらゆる棚という棚は倒れ、医療機器やら薬品が散乱していました。
病棟のスタッフは、人工呼吸器とベッドを必死で支えていました。
病室も患者さん用の床頭台が倒れたり、窓が歪んで開け閉めができなくなったり、とにかくひどい状態でした。
幸い患者さんに被害はありませんでした。
どうにか病棟を動けるまでに片づけましたが、今度は停電と断水、ガスも使えず。
人工呼吸器などは自家発電につなげるため、まずよし。
患者さんの食事は、エレベーターが使えないため、みんなで給食室から非常食を運んで配膳。
水も出ないため、近所からもらった水でトイレを流す。
停電のため、暖をとるための布団を運ぶ。
職員総出で、電気水道の復旧するまでの2日間働きました。
思ったこと。
不謹慎かもしれませんが、ワタシはこれまでに三条水害と中越地震を経験しています。
病院には沢山の患者さんが運ばれたりしましたが、病院の機能自体が不全になることはありませんでした。
エレベーターだって使えたし、断水もなく、食事も暖かいものを提供できました。手術も予定通り行っていました。
自身は、水を漕いで職場に行ったり、車がダメになったりしましたが、普通に生活はできていました。
確かに大変だったけど、今思うと、当時は状況をあまり重く受け止めていなかったのかもしれない。
今回、この危機的状況に対し、自分がやれることはやったつもりです。
でも、まだ何かやれていないような無力感というか焦燥感というか…。
でもでも、せっかくナースなんだし、手探りながらやれることをやっていかなきゃな…。
と、思う今日この頃…。
by kozuenoyu
| 2011-04-05 16:53
| DIARY